人は必ずしも合理的な判断を下すとは限りません。例えば、「心理的リアクタンス」という言葉があります。人は主導権を常に握っていたいと思っているので、誰かから何かをするように仕向けられると、急に無力感を感じます。そのため、その行動そのものは好きだとしても、拒絶したり、他の行動を取ろうとしたりするそうです。確かに、自分を思い返して見るとそういった行動をよく取っていたように思います。
こういった不合理な行動は「行動経済学」でよく語られますが、投資の世界でも負の影響を及ぼしかねません。例えば、ホームバイアスもその中の1つです。見知らぬ人にお金を託すのであれば、同じ国の企業の方がより親しみがあるのでそちらを選びがちです。しかし、よく考えてみると世界株式市場の約6%ほどしかない日本の企業から選ぶより、約45%を占める米国株式市場から選んだ方が選択肢が多いのは明らかでしょう。ついでに言うと、米国市場で利益を上げられる確率は、1日なら50%、1年なら68%、10年なら88%、20年なら100%といいます。しかし、私たちは相場の上がり下がりで売却を急いだりしがちです。このことからも、非合理な行動をきちんと分析しないといけません。
ついでにもう1つの不合理な行動の例として、感染症による発熱を挙げています。体温が1℃上がると、ある種のウイルスの複製速度が200分の1になるらしいですが、発熱はやはり辛いので、つい解熱剤を使ってしまいます。ここから得る教訓は、人は最善策ではなく、腑に落ちる方法を選ぶ、ということです。
投資の世界で一番危険なフレーズは”今回は違う”です。リーマンショックにしろ、ITバブルにしろ、いつかはバブルは弾けます。問題はバブル時にバブルと気付けないことです。私はリーマンショックを実際に経験しましたが、少なくとも自身の経験では5〜10年単位で2〜3割減は思った以上によくあった印象です。安全域(著者曰く”誤りの余地”)を設けておくことは偶発性を和らげる唯一の手段と言えますし、今回の新型コロナウイルスから分かるとおり、巨大な影響を及ぼす前例のないサプライズは必ず起こることであり、「将来、何が起こるか分からない」という真理は常に忘れずにいたいところです。歴史から「予測」できない以上、学ぶべきは一般論であり、”人間と欲望と恐怖の関係”、”ストレス下での人々の行動”、”インセンティブへの反応”などは時を経ても変わらないものです。
1870年以降、米国株式市場の年平均利回りは6.8%程ですが、先程述べた”誤りの余地”の考え方でいうと、将来の利回りを決して予想するものではなく、少し低く見積もっておくべきでしょう。また、リスクを回避する方法があるとすれば、「単一障害点」(そこが機能しなくなるとシステム全体が機能停止に追い込まれる)のトラブルを避ける以外にはないと著者は言います。株式だけでなく債券や預貯金、不動産などに分散させるとか、仕事も複業(副業ではない)によって1つだけからの収入に頼らないといった、変化に対応できる能力がこれからは必要な気がしています。